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Virgin_pAmenという短い2音節に言葉にもかかわらず、ヘンデルは演奏するのに3時間を要するメサイアの終曲に159小節ものAmen Chorusに仕上げました。
ここにAmenの精神性が描かれてように思います。大オラトリオのクライマックスはあるときに声高々に、あるときは心静かにアーメンと歌い、神の救いの成就・完成を表現していることをまず音楽家としての感性で心に覚えましょう。

面白いお話を一つ。
古代ユダヤ教会では、聖職者が聖書の一句を読み、続けて会衆が復唱することで、聖書の丸暗記教育を施していたのですが、次第に会衆は復唱がめんどうになり、会衆は「アメン!」(そのとおり!)とだけ言うようになった、というのです!!
いつの世も平民は正直ですね。面倒なことは避けたいという思いは庶民の怠惰な共通項ですね。
これがユダヤ教から派生したキリスト教にそのまま受け継がれ、神父の祈りの言葉をの後に会衆がアーメンと言うようになったのです。 そのような背景を知ると、教会での祈りや賛美歌の終わりに厳かに発せられるアーメンがなんだかとても親しいものに感じられませんか?

話を戻しましょう。
20世紀中期までミサはどこの国でも「ラテン語」で行われていました。しかし第二バチカン公会議(1961年~1964年)で、もっと親しみのある「ミサ」が検討されて、それぞれの自国語でのミサを行うよう取り決めがなされました。音楽家として知っておきたいのはレクイエム・ミサにおける続唱(「怒りの日」Dies Iraeなど)も廃止されたのもこの会議でした。歌詞の内容があまりにも最後の審判への不安や恐怖を強調しすぎており、本来のキリスト教の精神から遠いというのが理由でした。

さて自国語でのミサを、との合議でしたが、
昔の文語体聖書には「アーメン」を「成れかし」と訳されているらしいのですが、両者の響きの違いに戸惑ってしまいます。
かといってヘブライ語をそのまま訳して「その通り!」「賛成!」「真実だ!」と叫んでしまえば、なんだか前述の古代ユダヤ教会にすぐにでも戻ってしまいそうです。

「私も心から、本当にそう思います」「そのとおりになりますように」という切実な思いをうまく伝える日本語がみあたりません。そこでヘブル語で記された旧約聖書での「アーメン」、ギリシャ語の新約聖書にも引き継がれた「アーメン」をそのまま伝承することが自然な選択だったのです。

「アーメン」という言葉と、「信じる」というヘブル語の動詞とは同じ形をしているとのこと。つまり、旧約聖書の中で、「信じる」と言えば、信じることのできる確かなもの、つまりアーメンなるものを信じる、信頼できる確かなアーメンを信じるという意味が込められています。

祈りや賛美の最後で「アーメン」には、「私も心から、本当にそう思います」「そのとうりになりますように」と強い確信と願いが込められていることを理解した上で演奏に臨んでください。

アーメンと同様にハレルヤ・メシア・イスラエルなども、キリスト教に残る代表的なヘブライ語ですが、これらについては別項に譲ることにします。

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