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e215c20a.jpeg7月19日滋賀男声の五辻氏の同行を得て広島へ。高校1年の時の大阪ー鹿児島自転車単独旅行以来、広島に行くと必ず立ち寄る平和公園の慰霊碑で、今回も黙祷を捧げました。実は数日前から、合同曲の終曲「さくら散る」と、原爆の苦しみを受けた罪なき市民の阿鼻叫喚がオーバーラップして、心穏やかでなかったのです。いざ慰霊碑と原爆ドームの間に流れる太田川の畔に立ってみると、火傷を負った人々が川に飛び込み、それが幾重にも重なったという様が目に浮かび、一人一人の無念の声が聞こえてきて、私は溢れ出る涙を止めることができませんでした。

そんな思いを抱いて練習場へ。そこはかつて広島交響楽団からの依頼で、アンサンブルの指揮をした時と同じ会場だと気づき、びっくり。そして、広島メンネルコールを主体に大分や宮崎からもご参加くださった皆様と練習を始めました。広島メンネルコールの皆様は2週間前に演奏会で草野心平を全曲演奏なさったとのこと、私の仕事は私の音楽の方向性をご理解いただくことだけでした。皆様がおつくりになった作風とのギャップに戸惑いがおありだったでしょうが、さすがにベテラン集団、引き出しの多さと深さを示してくださいました。練習時間も終わりが近づいたころ、私はこの数日前からの思い、そして数時間前の太田川の畔での思いをお話するべきかどうか葛藤していました。252ad534.jpeg一人の旅行者が、当事者の前で語るには余りにも軽薄で言葉足らずになるのでないかと恐れたのです。でも、思い切ってお話させていただきました、音楽の方向性をご理解いただきたいとの一念で。皆さんはしっかりと私の話を受け止めてくださり、4時間半の練習を終えることが出来ました。

練習後、懇親会へ。宿景園を借景にした立派なレストランをご用意くださり、滋賀男声から練習に参加した林・相田・高橋氏とともに楽しい交流の時を持ちました。中でも常任指揮者の増田遥先生との出会いは喜びでした。中締めとなり、皆さんは握手で我々を送りだしてくださいました。そんな折、団員のお一人が私に近づいてそっと声を掛けてくださったのです。
「いい練習をありがとうございました。被爆者の一人としてさくら散るを歌います。」
私はそのお言葉に驚きと覚えると同時に、心から救われ、励まされた思いでした。

IMGP8233.JPG増田先生が森脇憲三作曲のレクイエム「碑」に深く関わっている方と知り、懇親会後その碑へ先生みずから滋賀男声組4名とともにご案内いただくことになりました。平和公園のその碑の後ろには犠牲となった広島二中(現在の県立観音高校)の350人の名前が刻まれていました。学徒動員で集められた工場の朝礼の時に・・・・。無邪気であどけなさが残る13歳から17歳の少年たちが・・・。碑に刻まれたお一人の名前を先生はやさしく撫でながらぽつんと一言「こいつとはよく遊んだものです。」と。

「さくら散る」と「原爆」。日帰りの急がしい広島訪問でしたが、今回ほど戦争のむごさを生々しく僕に伝えてくれた旅はありませんでした。

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