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6月15日、明石市民会館で兵庫県合唱連盟の合唱祭が開催されました。私は音楽アドヴァイザーを務める篠山少年少女合唱団の童謡メロディーと、連盟に所属する6つの児童合唱団の合同演奏の指揮をさせていただきました。合同曲は・・・
2001年こうべっこミュージックフェスティバル実行委員会が阪神淡路大震災の復興記念事業のひとつである大会のための詩と作曲を公募してできたのが「届けようようこの歌をーすべてのやさしさに感謝してー」。この楽曲を神戸市全域の小学生が歌えるようにと児童2部合唱に、また中学生のために混声3部合唱にと編曲を依頼されたのがこの曲と私の出会いでした。
フェスティバルから7年、震災から13年、当時小学校1年生は今年は成人式。その年に私は児童合唱団の合同演奏を指揮する機会に恵まれました。私は「届けようこの歌を」を合同曲にと申し入れ、連盟の担当くださった増田健一先生の快諾を得ました。編曲は引き受けたものの、この曲を指揮することはなかったのです。
初めてのそして一回限りの合同練習が伊丹でありました。100人の子供たちが集まってくれてました。さすがに普段から優れた先生方に指導を受けれている子供たちは、とてもきれいな声で歌ってくれました。私がイメージを伝えると、子供たちはどんどんそれを膨らませて歌ってくれました。本番直前の練習では
「メッセージのない音楽なんてつまらないよ」
「今歌っている言葉が、次にどんなお話を引き出すか考えて歌ってね」
「先生がこの曲を選んだのは、君たち一人一人の感謝と希望の心を歌ってほしいからなんです」・・・と伝えました。
本番では子供たちは小さな胸いっぱいにイメージを膨らませ、メッセージを伝える感動的な演奏となりました。多くの愛に支えられ生きていることの感謝と、愛を捧げることを心に覚えながら歌ってくれました。指揮をする僕も、ピアニストも、引率の先生がたも、子供たちの歌声に聞き入り、感動しました。
演奏後、子供たちと一緒にポートアイランドの神戸市立科学館に行きました。そこの喫茶店でなんとなく手にした朝日新聞の神戸版に「震災の語り部」の連載があることを知りました。なんという偶然でしょうか。いま僕が熱望するのは合同曲の作曲家三野さんの作品を集め、子供たちの天使の声で、語り部活動に寄与できる新しいミュージカルをプロデュースしたいという願いを持っていたからです。
タイトルはもちろん「届けようこの歌をーすべてのやさしさに感謝してー」です。
演奏後、客席にいらした三野さんからメールをいただきました。初合同練習の後、子供たちが三野さんの曲に新鮮な感動をおぼえながら歌っていることをお伝えしていたのです。彼女はお忙しい中、時間をやりくりして会場に駆けつけてくださいました。そして次のようなメールをいただきました。作曲家と演奏家の仲介者としてまさに喜びの一日でした。
*******************
今日はお疲れさまでした。
合唱祭、とても楽しかったです。
大学の同窓生の友達と二人で、聴きにいきました。
なんとか12時半に着くことができたんです。
富岡先生が、舞台から呼んでくださったけど、
ミュージシャンをやってるくせに、恥ずかしがりな私は
手をあげることができませんでした。
「届けようこの歌を」本当にすばらしかった。
電話でも言いましたが、子供たちの声がなんて美しいのかと感激しました。
そして、あの歌に込められた優しさとたくましさが、
見事に表現されていました。
地震の中で生き残った私たちがやらなきゃいけないこと、
あんな小さい子たちが、あんなかわいい声で歌い継いでくれるとしたら、
希望がもくもく、わいてきます。私たちが死んだあともずっとずっと。
どうか、子供たちにありがとうとお伝えください。
歌が終わって、すぐ外に出て電話をしようと思ったのですが、
隣にいた友達が、感激して泣いてしまい、
「次のも聴く」「次のも聴く」と言って、しばらく席にいたので、
富岡先生にお会いする機会を逃してしまいました、残念です。
私だけでも、先に出て電話すればよかった。
本当に、今日はありがとうございました。
これからのご活躍も、応援しています。
三野瑞枝
2001年こうべっこミュージックフェスティバル実行委員会が阪神淡路大震災の復興記念事業のひとつである大会のための詩と作曲を公募してできたのが「届けようようこの歌をーすべてのやさしさに感謝してー」。この楽曲を神戸市全域の小学生が歌えるようにと児童2部合唱に、また中学生のために混声3部合唱にと編曲を依頼されたのがこの曲と私の出会いでした。
フェスティバルから7年、震災から13年、当時小学校1年生は今年は成人式。その年に私は児童合唱団の合同演奏を指揮する機会に恵まれました。私は「届けようこの歌を」を合同曲にと申し入れ、連盟の担当くださった増田健一先生の快諾を得ました。編曲は引き受けたものの、この曲を指揮することはなかったのです。
初めてのそして一回限りの合同練習が伊丹でありました。100人の子供たちが集まってくれてました。さすがに普段から優れた先生方に指導を受けれている子供たちは、とてもきれいな声で歌ってくれました。私がイメージを伝えると、子供たちはどんどんそれを膨らませて歌ってくれました。本番直前の練習では
「メッセージのない音楽なんてつまらないよ」
「今歌っている言葉が、次にどんなお話を引き出すか考えて歌ってね」
「先生がこの曲を選んだのは、君たち一人一人の感謝と希望の心を歌ってほしいからなんです」・・・と伝えました。
本番では子供たちは小さな胸いっぱいにイメージを膨らませ、メッセージを伝える感動的な演奏となりました。多くの愛に支えられ生きていることの感謝と、愛を捧げることを心に覚えながら歌ってくれました。指揮をする僕も、ピアニストも、引率の先生がたも、子供たちの歌声に聞き入り、感動しました。
演奏後、子供たちと一緒にポートアイランドの神戸市立科学館に行きました。そこの喫茶店でなんとなく手にした朝日新聞の神戸版に「震災の語り部」の連載があることを知りました。なんという偶然でしょうか。いま僕が熱望するのは合同曲の作曲家三野さんの作品を集め、子供たちの天使の声で、語り部活動に寄与できる新しいミュージカルをプロデュースしたいという願いを持っていたからです。
タイトルはもちろん「届けようこの歌をーすべてのやさしさに感謝してー」です。
演奏後、客席にいらした三野さんからメールをいただきました。初合同練習の後、子供たちが三野さんの曲に新鮮な感動をおぼえながら歌っていることをお伝えしていたのです。彼女はお忙しい中、時間をやりくりして会場に駆けつけてくださいました。そして次のようなメールをいただきました。作曲家と演奏家の仲介者としてまさに喜びの一日でした。
*******************
今日はお疲れさまでした。
合唱祭、とても楽しかったです。
大学の同窓生の友達と二人で、聴きにいきました。
なんとか12時半に着くことができたんです。
富岡先生が、舞台から呼んでくださったけど、
ミュージシャンをやってるくせに、恥ずかしがりな私は
手をあげることができませんでした。
「届けようこの歌を」本当にすばらしかった。
電話でも言いましたが、子供たちの声がなんて美しいのかと感激しました。
そして、あの歌に込められた優しさとたくましさが、
見事に表現されていました。
地震の中で生き残った私たちがやらなきゃいけないこと、
あんな小さい子たちが、あんなかわいい声で歌い継いでくれるとしたら、
希望がもくもく、わいてきます。私たちが死んだあともずっとずっと。
どうか、子供たちにありがとうとお伝えください。
歌が終わって、すぐ外に出て電話をしようと思ったのですが、
隣にいた友達が、感激して泣いてしまい、
「次のも聴く」「次のも聴く」と言って、しばらく席にいたので、
富岡先生にお会いする機会を逃してしまいました、残念です。
私だけでも、先に出て電話すればよかった。
本当に、今日はありがとうございました。
これからのご活躍も、応援しています。
三野瑞枝
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